October 7, 2008 NHK Interview with Kenichi Nishi

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2008.10.7

ゲームクリエイター特集第1弾、今週はゲームプランナーの西健一さんの登場です。異色な作風で知られる西さんが「自堕落な」と表現される浪人時代から、黎明期のゲーム業界へと歩みを進めた20代をお届けします。

vol.42 西健一 さん

Profile

1967年生まれ。東京都出身。モラトリアムを経てスクウェアに就職。クロノ・トリガーとスーパーマリオの開発に携わる。96年にラブデリックを設立。Moon(PS)をリリース後、坂本龍一氏とL.O.L.(DC)を共同開発。その後、SKIPを経て06年Route24を設立し、40歳を契機にフリーランスとして活動。

西健一 公式サイト

(NHKサイトを離れます)

僕がスクウェアに入ったとき、あるメーカーが新しいゲームマシンを出すって話があったんです。それに向けて準備をするプロジェクトで、4人ぐらいしかいないラインにいきなり組み込まれたんですよ。でも、普通だと試作のデモンストレーションマシンが送られてきていろいろ試すんですけど、そのマシンが一向に来ないんですよ。 それで1年ぐらい飼い殺しみたいな状況だったんです。

当時スクェアは裁量労働制を採っていて、1時にタイムカードを押せば、帰りの時間は何時でも良かったんです。僕はやることがないから1時に行って1時5分には帰ってました。そのうち“帰っちゃう派閥”ができて、そういう連中と昼間から映画見て夕方になると酒を飲んでっていうのをず~っと繰り返してたんです。そうしたら急に待っていたマシンが出ないってことになって、そのうちに社内で立ち上げたドリームプロジェクトに組み込まれたんです。そのプロジェクトは「クロノ・トリガー」っていうゲームの開発でした。

そこで僕が皮膚感覚的にすごくつまんなかったのは、僕が作った感覚がまったく持てないってことでした。トップ5人ぐらいの人は自分たちで作ったっていう意識でしょうけど、僕なんかは歯車の一部です。それはそれでまあ良いんですけど、友達にそのゲームで遊んでもらったときに、友達としては僕を通してそのゲームを見るから「西スゲェな」って、そういう言い方になるじゃないですか。最初は「いやいや、僕がすごいんじゃなくて、会社がすごいんだ」とかいろいろ説明するんですけど、だんだん説明すんのがめんどくさくなってきて、「スゲェだろ」みたいなことになっていくんですよね。

そこら辺で「俺なにやってんだ。ちょっとおかしいな、これは…」みたいな気分になってきたんですよね。巨大なシステムのなかの自分と周りから見たイメージのギャップがあって、居心地の悪さがどんどん募っていったんです。

それと同時に、スクウェアのカラーは王道のなかの王道だから、そうじゃないものを作りたいって言う欲求がどんどん蓄積されていきました。“帰っちゃう派閥”のやつらで集まって飲んでるときに、「こんなの作りたいよね」って話しをよくしてたんですよね。それでなんとなく企画書を書き始めたんですが、いろんな人の意見を踏まえて何回もリライトしてるうちに、ちゃんとしたものになってたんです。「moon」っていうゲームなんですけど、見せるとみんなおもしろいと言ってくれるレベルになってたんですよ。でも、どう考えてもスクェアのラインナップにありそうなタイトルじゃないんですよ。だって、王道のロールプレイングって、必ずモンスターを殺しまくる勇者が主人公じゃないですか。その主人公がバッカバカ斬って殺して殺してみたいなことをするのがバカバカしく感じるようになってたので、「moon」はその殺されたモンスターの魂を救済するゲームだったんです。

だから、「これを会社に上げるのは無理だよな」って話で、でも面白いから作りたいって、このゲームはわりと少人数でも作れたんですが、一緒にやりたいっていう仲間が何人か集まってきてくれてたんです。

映画で言ったらインディーズ系とハリウッド資本でバンバン作るみたいなところを両方経験してみると、結局はどっちが居心地良いかみたいな問題になってくるんです。僕の場合は最初に入ったぐらいの規模で、全体が見渡せる方が居心地が良いんだなっていう自分のスタンスがようやく見えてきたんですね。

そう思うようになってからは、会社の仕事は人に迷惑をかけないぐらいにちゃんとやる。ただ、もっと頑張って会社に認められようってことはしないで、ほかの時間は自分のやりたいことに充てるスタイルに切り替えたんです。それでスクェアを辞めてラブデリックっていう会社を立てたのが28歳のときで、「moon」の発売にこぎ着けたのがちょうど30歳。そんな20代でしたね。

今の若い人が働く環境って、格差だなんだってどんどんきつくなってるって気はします。でも今の日本で、なにも都心の夜景が綺麗な部屋に住んで、高級車に乗って高いワインを飲んでってことに価値があるわけじゃあまったくないんですよね。そういったことが下らないっていうのがバレちゃったから、みんなもう少し違うところを探るみたいな、若い世代のカルチャーはそういう風になってきてると思うんですよね。

それで全然良いと思うし、ずっとがんばり続けることなんか無理なんだから、うまく抜きどころを覚えて頑張んなきゃいけないとこだけ頑張っていけばいいんじゃないでしょうか。

僕は「自分自身の価値観を変えることが世界を変えることになるんだ」と思うんですけど、どうなんでしょうね。
「自分自身の価値観を変えることが世界を変えることになる」という考え方には深いものがあるなぁと思いました。西さんありがとうございます。
来週はゲームクリエイター特集第2弾、飯野賢治さんの登場です。お楽しみに!

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